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Korva

Author:Korva

コルバのブログへようこそ♪
"Korva"とはフィンランド語で「耳」という意味。なぜかスピーカーのことを考えてると幸せ。よい音とは何か、そして理想のスピーカーとは何かを日々考え追求しています。

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もう15年
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします <(_ _)>


新年早々、季節外れの記事になりますが、
昨年(2016年)は、Korva とパートナーの結婚15周年だったので、
お祝いとして、栃木県の塩原温泉に行ってきました。

ところで、
結婚15周年を「銅婚式」と言うのかと思っていたのですが、
「水晶婚式」とも言うようで、むしろ、その方が一般的なようですね。

shiobara2016_2


shiobara2016_3


shiobara2016_


栃木は、茨城からは行きやすくて、
美しい場所が多いので、好きなところです。

shiobara2016_4


そろそろ赤とんぼの出てくる季節でした。

hotel2016_4


泊まった温泉旅館の「かもしか荘」です。

カモシカといえば、数年前に、
パートナーと長野に長距離ドライブに行ったとき、
車の前を、野生のニホンカモシカが、のそのそと横切って歩いてくれて、
運良く、至近距離から、まじまじと観察することができました。
そして、その日には、美しい雲海も見ることができました。

hotel2016_2


ふたたび、かもしか荘。
少し俗っぽいところもあるのですが、
なかなか良い雰囲気でした。

hotel2016_1


泊まった部屋。

hotel2016_3


庭を見ながらくつろげるウッドデッキもありましたが、
この日は あいにく、台風が近づいていて天気が悪かったこともあり、
人はいませんでした。

そう言えば、前にも塩原温泉で、
台風の日に露天風呂に入ったことがありますが、
大きな雨粒にバチバチと顔を打たれながら、
飛んできた枯葉が沢山 浮かぶ、貸しきり状態の露天風呂に入るのも、
なかなか風流なものだなと思った記憶があります(笑)

hotel2016_6


ミヤマクワガタがいそうな、庭の雑木林も爽やかな感じです。

hote2016_5


これは、庭にあった、縄文式土器に似た文様のあるオブジェ。

hotel2016_7


hotel2016_9


読書コーナー。
温泉に来て、読書する人がいるのかなと思いつつも、
好きな古代アメリカ文明の本や、昔話の本を、
ペラペラとめくってみたり・・・

hotel2016_8


所々に、美術品が飾られているのですが、
なんとなく、気になる絵が飾られていました。

korva2016


Korva を見たいという、奇特な方がいたので、ついでに・・・
パートナーの写真はよく撮るのですが、自分のはほとんど無くて、
かろうじて、これがカメラの中に残ってました。

ファッションやヘア・スタイルに凝ったりすることが全く無いので、
我ながら、なんとも素朴な感じですね。

tochgi2016_1


帰る途中の風景。
コスモスが、ちらほらと咲き始めていました。

tochigi2016_2


色んなところに、寄り道をしながら、
お土産や土地の野菜などを買ったりと、
楽しい時間が過ごせて、良い思い出となりました。

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旅行 | 22:08:00 | トラックバック(0) | コメント(34)
コメント
写真を出していただいて、ありがとうございました。
第一印象は、思っていたより、若い。細くて、背が高い。
でも、結婚15周年なら、25歳で結婚したとしても40歳。か、それ以上。
それにしてはヘアスタイルも若いですね~。
三十前と言っても通りそうです。

私も写真ではかなり若く見えますが、実際はもういい歳でして、
Korvaさんはひょっとしたら私に近い年齢かなと思っていたので、
ちょっと驚きました。
お顔は、繊細というイメージですね。
内省的という言葉が浮かびました。

配偶者をパートナーと呼ぶのに少しく興味を覚えました。
一緒に仕事をしている、あるいは、してきたという意味でしょうかね。
似たようなイメージのホームページを二人で持っていますし。

コスモスって今頃咲くのですか。
秋の花だと思ってましたが。
那須塩原ならけっこう寒いと思うのですが。
2017-01-05 木 18:10:43 | URL | ☆バーソ☆ [編集]
コメントでは初めまして
ご結婚15周年おめでとうございます!
うちは今、プラス11年?だっけかな(汗)、
25周年で特別に何かした記憶はないのですが、
二人にとっては大事な記念日ですよね。
大切にしてらっしゃることが伝わってきて、素敵だなーと思いました。

我が家でも、
どうしても「主人」や「家内」という言葉は使いたくないので、
外向けには「夫」「妻」あるいは「連れ」で通してますが、
「パートナー」って、良い言葉ですねー。
お写真まで拝見できて、さらに親近感アップです。
(親近感自体は、応援していただいてると分かってからずっとですが)

ちょっと遅ればせながら、今年もどうぞよろしくお願いします^^

2017-01-06 金 00:19:02 | URL | ナカリママ [編集]
おはようございます^^
Korvaさん、お若い方だったのですね。
静かなたたずまい、Korvaさんらしいなぁと
思いましたよ。

ご夫婦での旅行、
ゆっくりできて良かったですね(^-^)

2017-01-06 金 04:57:32 | URL | 坊主おじさん [編集]
Korva さん、こんにちは^^
珍しく旅行の記事なんですね。
とっても楽しく拝見しました。
気持ち良さそうな所で、私も行ってみたいような気がします。

Korva さんは、お書きになる文面もいつも静かな感じがしますが、お姿も静かな雰囲気があって、良いですね。

結婚生活は、私より Korva さんの方がちょっと先輩なんですね。
うちは今年で結婚15年です。
どうぞ末永くお幸せに、良いご家庭を築いていってください。
2017-01-06 金 11:27:09 | URL | Ariane [編集]
バーソさん、コメントありがとうございます^^

塩原に行ったのは、昨年の秋なので、
それほど寒くは無く、ちょうど良い気候の頃でしたよ。

私も若く見られることが多いのですが、
バーソさんが想像しているよりは上だと思います。
年齢は、ホームページのプロフィールのところに書いてあったりします。

妻を「パートナー」と呼ぶのは、
それが一番しっくり来る呼び方のように感じるからです。
情念の篭らない、あっさりした言い方が好きなのもあります。
「家内」とか「かみさん」とかは違和感を感じますが、
「妻」なら、割りと違和感を感じません。
2017-01-06 金 11:40:42 | URL | Korva [編集]
ナカリママさん、コメントありがとうございます^^

私は、あまり記念日とかを気にしない性質なので、
そういう部分では、妻に合わせることで、
生活上の彩りが増えていると思い、感謝してます。

ナカリママさんのブログは、
いつも、優しくて立派なお母様だなと思いながら、
そして、時々ホロリとさせられながら拝見しております。

こちらこそ、よろしくお願いいたします^^
2017-01-06 金 11:52:59 | URL | Korva [編集]
坊主おじさん、コメントありがとうございます^^

年は見た目よりは、結構 行っていると思いますよ。

「静かなたたずまい」ですか。
なんとなく素敵な響きで気に入ってしまいました。
勝手に良い意味に解釈していますが、
ありがとうございます^^
2017-01-06 金 11:59:54 | URL | Korva [編集]
Arianeさん、コメントありがとうございます^^

実際にも静かなので、そういう雰囲気になるのでしょうか。
子供の頃は、「男の癖に、なぜそんなにうるさいのか」
などと言われていましたが、人は結構 変わるものですね(笑)

Arianeさんご夫妻とは同じくらいかなと思っていましたが、
こちらの方が少し長かったのですね。
でも、Arianeさんご夫妻は、一度も夫婦喧嘩をしたことがないということで、
まだまだ こちらは、学ばなければならないことが多いようです ^^;
2017-01-06 金 12:12:48 | URL | Korva [編集]
おめでとうございます
あけましておめでとうございます。そしてご結婚ご結婚15周年、重ねておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
2017-01-06 金 20:54:36 | URL | LE8T [編集]
LE8Tさん、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

そして、15周年のお祝いのお言葉もいただき、
ありがとうございます^^
2017-01-07 土 11:50:58 | URL | Korva [編集]
結婚15周年おめでとうございます\(^o^)/

栃木県の塩原温泉てリゾート地なんですね。栃木県は母親の田舎なんですけど、
母親の田舎は見渡す限り田んぼと畑しかない田園地帯なので、
栃木県にもこんなリゾート地があるんだなと思いました。

korvaさんてすらりとしてて思ったより背が高いですね。
第一印象は繊細な感じで立原あゆみの少女マンガに出てくるような
男性キャラクターみたいだなと思いました。
2017-01-07 土 18:08:39 | URL | ponch [編集]
ponchさん、お祝いのお言葉と、
コメントをありがとうございます^^

お母様が栃木出身なんですね。
どうも、栃木は過小評価されているような印象がありますが、
栃木は、塩原や那須、日光など、
美しい場所が多くて、私は大好きです。

ponchさんとは同年代ですが、
立原あゆみの漫画は読んだことが無くて、
検索してみたら、極道の絵が沢山出てきてびっくりしましたが、
立原あゆみの少女漫画の方という意味ですね。
ありがとうございます^^

漫画のキャラだと、昔(20数年前)髪を伸ばしていたころ、
「宗像コーチ」というあだ名をつけられたことがありますが、
最近は髪を伸ばすとむさくるしい感じなので、
短くしていることが多いです。
2017-01-08 日 10:04:25 | URL | Korva [編集]
明けましておめでとうございます m(_ _)m
そして、
結婚から15年を迎えられたとのこと
重ねておめでとうございます ヽ(*´∀`)ノ゚


そして、
「アタックされたとしても
 アタック仕返したりしたりなど
 されることのないKorvaさん」
だということが滲み出ているような
すら〜〜っと穏やか〜な優し〜い
お姿を拝見させて頂きました。

その文章からは
その静けさを破るような
「熱いまでの感性(感受性?)」
が伝わるようだからでしょうか、
一部のKorvaさんはイメージ通り、
また一部のKorvaさんはイメージを裏切る...
そんな風に感じましたよ〜 (*^▽^)♪

Korvaさんの自然を相手にしたお写真は
緑色がとにかくとても綺麗で、
そこに他の色が混ざっても
やはり侘び寂びの風情が
失われることがない、
という感じがします。

お写真たちの雰囲気、
Korvaさんらしさと
良くマッチしてる感じがします。
お宿に飾られていたお馬さんと女の人の絵、
心に引っ掛かります〜〜〜 どうして?


年始から印象に残るステキなお写真を
たくさん見れてうれしかったです。

Korvaさん、
今年もよろしくお願い申し上げます m(_ _)m
2017-01-08 日 16:54:40 | URL | HeartLiberty [編集]
HeartLibertyさん、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします<(_ _)>
そして、15周年のお祝いのお言葉もありがとうございます。

今回の写真は、緑が綺麗に撮れていました。
子供の頃から、自然の中で遊んだり、
昆虫を採ったり、釣りしたりすることが多かったので、
自然の多いところに出かけたり、
自然の写真を撮るのが好きです。

あの絵が気になったのは、
そのときの自分の心理状態と関係がありますが、
分析してみると、結構 重層的な意味があるようです。

馬は、動物的なエネルギー、
その馬が、音符模様の衣をまとっているので、
これは(私には)、感情的なエネルギーという意味にもなります。
そして、このエネルギーは、人を運ぶものでもありますが、
その上に立っていられるほど、静かなエネルギーとして動いています。
これが可能なのは、
そのエネルギーが良くコントロールされているからですが、
この馬には、手綱がついていないので、そのコントロールは、
他律的なものではなく、自律的なものです。
コントロールが他律的なものであれば、
エネルギーは抑圧され、束縛を感じますが、
自律的なものであれば、そこには美と自由があります。
なので、このエネルギーを表す馬は、馬そのものの形としてではなく、
美しい衣をまとった、優美な姿として現れています。
そして、この美の衣をまとうことのできる馬は、
奔放さを求める馬ではなく、
自律的なコントロールのできる馬のみです。
エネルギーは、感情的なものはもちろん、動物的なものでさえ、
抑圧ではなく、自律的なコントロールにより、
優美さをまとったものとして現れる必要があり、
そこに自由への鍵の一つがあると感じます。
優美さをまとわず抑圧されたエネルギーは、
分化されにくいので、その現れ方も激しいものになりがちですが、
自律的コントロールにより、優美さをまとったエネルギーは、
認識、許容されやすく、より分化していくので、
その現れ方もより穏やかになります。
なので、この絵は、私には、
動物的エネルギーや感情的エネルギーの
あるべき姿の象徴として感じられたのだと思います。
2017-01-09 月 10:50:49 | URL | Korva [編集]
初めまして、こんにちは

結婚15周年なんですね、おめでとうございます!
旅行先の栃木県は良い所ですよね、温泉もいっぱいあるし私もよく行きます。
Korvaさん高身長ですね~2m位ありますか?素晴らしい。
ブログ暦も長く、カテゴリも色々あるのですね。
スピーカーが好きとの事で、Korvaさんの様な方は、知り合いのブロガーさんには居なかったので、興味あります。

今後とも宜しくお願い致します。
2017-01-11 水 15:56:03 | URL | 芽吹 [編集]
(*′☉.̫☉)この人が……。
>Korva を見たいという、奇特な方……。

その一人、風子です。
ふ~む……いかにも聡明な、科学の先生ってイメージですね。
オーディオのことはチンプンカンプンなので、
たまに、こんな記事をアップしていただけると、なんか嬉しいです。

ページ上の、HeartLibertyさんへのコメント返し……。
Korvaさんの感受性の鋭さ、繊細さには参ります。
哲学的すぎて、オバちゃんには理解不能です。とほほ。

お顔、見せていただいて、ありがとうございましたぁ。(*´ェ`*)
2017-01-11 水 18:08:46 | URL | 風子 [編集]
芽吹さま、はじめまして。

コメントありがとうございます^^
こちらこそよろしくお願いいたします。

芽吹さんも、栃木がお好きなんですね。
温泉も沢山ありますし、茨城からは近いので、
気軽に出かけることができます。
茨城はさておき、魅力度ランキングなどでは、
栃木の順位が低いのが不思議な感じです。

身長は、流石にそんなに高くは無いですよ。
細いので、実際より高く見えるのかもしれませんね。
近所のスーパーで、実際に2mくらいの人を見たことがありますが、
まさに「巨人」でしたね・・・
最近は背の高い人が多いので、
自分より高い人を時々見かけますが、
結構 圧迫感を感じるので、自分も人に、
そういう印象を与えているのかなと思うと、
少し不安になったりもします。
2017-01-12 木 10:32:45 | URL | Korva [編集]
風子さん、コメントありがとうございます^^

聡明でも繊細でもありませんが、
そういう人は好きなので、
そういうふうに言っていただけると嬉しいです^^
科学の先生風というのは、初めて言われました。
 
あの絵の解釈は、
単に私がそう感じるというだけの個人的解釈なので、
他の人は、違うように感じるだろうと思います。
2017-01-12 木 10:47:51 | URL | Korva [編集]
初めまして
ブログ訪問ありがとうございました。
さーやと申します。
水晶婚式、おめでとうございます。
これからも仲の良いご夫婦でいてくださいね?
では失礼いたします。
2017-01-15 日 13:42:22 | URL | さーや [編集]
「今回の写真は、緑が綺麗に撮れていました。」
と仰いますが、そうじゃなくて・・・。
この記事の写真だけではなくて
【自然】というカテゴリーに
アップされた写真の緑のことも
とても「!」と思ったので
「Wow! またまた、緑色が・・・。」
と感じたのでした。


やはり自然の中で遊んでおられたのですね。
Korvaさんのような特徴(一体どんな?)
を持った人は
幼少期から自然の中にいる時間が
多い人だらけですよね。

親を含めた周りの多くから親近感を持たれず、
いつも森の中で過ごしていた・・・
なんてほどまででは
Korvaさんはなかったかもしれないですが、
「植物や動物だけが本当のお友達だった。」
なんて感じで、幼少期から長年を
森の中で過ごしたアメリカ女性がいらして、
(直接は知らないな人なのですが)
Mother Earth と1つになって
いるような印象を受けました。


“あの絵” についてのkorvaさん評は
1度目に読んだ時には
「難しい...」と感じなかった
といえば嘘になりますが、
書いておられることを元に
再び注意深く見ると、
korvaさんの使っているキーワードたちが
やけに的を射ていような気がします。


確かに、手綱もないのに立っている女性は
thoughtfulなお馬さんから
「自由と美」を与えて頂いている・・・
ように見えます。


女性のお顔が無機質(無表情)である一方で
お馬さんの方こそ寧ろ
思慮深く繊細なハートを携えた
《人間の表情》の豊かさに溢れています。

もし、何か悩み事を抱えた人が
このふたり(一匹と一人?)と
遭遇することがあったら、
きっとその人は
女性の方にではなく
このお馬さんの方に語り掛けたくなるでしょう。
「この人(実際には馬)ならわかってくれるかも...」
なんて気持ちが湧いてきて・・・。

「動物的エネルギーや感情的エネルギーの
 あるべき姿の象徴として感じられた」


このお馬さんの目を見ていると、
そんな気がして来るから不思議です。


私は最初、この美しい衣に描かれているのが
「音符」であることに気付きませんでした。
一度 “生で” 見てみたいような絵です。


この絵に対するkorvaさん評を読んで
「良い音」にとてつもなく拘って
スピーカーというものを
作り続けるkorvaさんと
すんなりと繋がるような気がしました。

逆にいえば
korvaさんのような感性の人にならば
「音の職人芸」も可能なのだと
いうことなのかもしれません。


「音楽なしでは生きられない。」
というほど歌を聞きまくったにも拘らず、
自分がスピーカーを作るだなんて
考えたこともない者の意見らしいですか?

絵に対するkorvaさんのお考えを聞かせて下さり、
どうもありがとうございました ❀(*´◡`*)❀
2017-01-15 日 15:49:46 | URL | HeartLiberty [編集]
さーやさん、はじめまして。
ご訪問とコメントをありがとうございます^^
2017-01-16 月 11:47:48 | URL | Korva [編集]
HeartLibertyさん、コメントありがとうございます^^

自然のカテゴリーもご覧いただいたのですね。
私の場合は「植物や動物だけが本当のお友達だった。」
というほどではないですが、
自然の多い場所で育ったので、自然が好きです。
子供のころ住んでいた家の裏庭のすぐ傍に川があったので、
(家から5m先が川とい感じで)、今も水のある風景が好きです。
妻も水のある風景が好きなので、
よく、そういう場所に出かけて、一緒にお弁当を食べています。

あの絵の解釈は、全く個人的なものなので、
他の人には解りにくいだろうと思いますが、
真面目に考えていただいたようで、ありがとうございます。

全てのエネルギーは、
同じものから派生したり、分化したものだと感じますが、
自分や他者や世界に対する定義や見方によって、
その現れ方も全く違ったものになると感じます。

そして、他者や世界に対する定義は、自分に対する定義でもあるので、
単なる思想や価値観によって、優れたものになろうとすると、
他者や世界に否定的な定義をすることが多くなるので、
結果的に、劣ったものにしかならないということにもなると感じます。

HeartLibertyさんのブログでも出てくる思想で、
固定観念や自分に対する定義を手放すということにも関わってきますが、
自分が何かであろうとすると、
他者は相対的に何かでないということになりますが、
これが、事実の認識なのか、
事実に基づかない単なる思い込みなのかによって、
自分に対する影響が変わって来て、
単なる思い込みの場合は、自分に対して、
逆の影響があるように感じます。

他者にネガティブナ定義を与ると、自分も、
他者からネガティブナ定義を与えられるということで、
与えるものが与えられるものになるのだと思います。

スピリチュアリズムは、知らず知らずのうちに、
一般的ではない思想や価値観を持つようになり、
他者や世界に対して、
ネガティブナ定義を与えるようになるので、
ちょっとした危険性を感じたりします。

なんだか、あまり関係の無い話になってしまいましたが^^;
2017-01-16 月 11:53:36 | URL | Korva [編集]
あまり関係のない話なんかじゃ、ちっともないです。
Korvaさんへ

奥様(パートナーさん?)も水のある風景がお好きで、
よくそういう場所にお二人で出掛けて
一緒にお弁当を召し上がるんですね〜。
いいですね〜〜✌︎✌︎✌︎

お子さんの頃、お家のそんなに近くに
川があったなんて・・・。
水、特に少しでも動いている水は
見ているだけでも
浄化される感じを憶おぼえます。
「無意識の領域が “祓(はら)いたい” と願うもの。」
をいっぱい溜め込んでしまいがちな私たち。

“水場でピュリファイ”
その必要性の最も少ない人のひとりに
korvaさんは私には見えます。

そういう人に限って
わずかでも自分の中にあるかも知れない
“祓いたいもの” をもっと減らそうと、
無意識的に祓う方向に更に導かれたり、
意識的にもそうありたい(もっと祓いたい)と
望む傾向があるように感じます。

ごく最近「祓い」という考え方を
学ぶ機会に恵まれたこともあってか、
korvaさんが水の話をされて、
今みたいなことを思ったのかもしれません。


コメント内のkorvaさんの思想に
とても共感します。

「他者や世界に対する定義は
 自分に対する定義でもある。」


そう思います。

他者にネガティブな定義を
与えようとする背景には、
「比較」という考えが
骨の髄まで染み込んでいるということが
影響しているように思います。

自分がある人と違う、と感じたとき
すぐに “優劣” といった競争的価値観が
心を圧迫してしまうような感覚が、
あたかも常識的なこと
のように思われているのも、
洗脳の賜物ではないかと感じます。

「宇宙が本当にしてくれていることへの学び」と
「宇宙全体の調和」とは
繋がっているような気がします。


Korvaさんの懸念、
私もどこかしら
似た感じで理解しているかもしれません。

いわゆる目に見えない世界
のことを語るときも、
“動機(それを言う理由)” が
Korvaさんの言葉で言えば
「自分が何かであろうとする」
ためなのか
「私たちみんなが本来的に持っている力を
 もっと一緒に思い出したいよ〜。」
という呼び掛けなのかによって
(Korvaさんの言葉を再度お借りすると)
「その現れ方も全く違ったものになる」
私もそのように感じます。


自分を他者より
優位に見せるようなことこそ
最も「したくないこと」
(持ちたくない意識の状態?)である場合、

Korvaさんが良い例だと思うのですが、
“一見わかりにくい(遠回りっぽい?)”
言い方に
どうしてもなってしまうと思います。

ですが、却って
言いたいことが適切に
伝わって来るようでもあります。


発明家の政木和三さんは
「常識による洗脳」の影響で
厳然と存在する宇宙の法則を
一時期までは
否定しようと躍起になっていたそうです。

自己の霊体験や認識していることを
何冊か本にして世に送り出したのは
「彼に課せられたお役目」
だったのだろうと感じます。
(それでも彼の存在は
 ちゃんと目立たないようになっていますが)


周りに何人も友人たちがいる前で
いきなり目の前に “観音像” を出されたりしたのも、
彼の場合は
「事実に基づかない単なる思い込み」
(←by Korva) ではないのに、
そう思おうと彼自身が
頑固に抵抗していたからだろうみたいなことが、
彼の図書のどれかに書いてありました。
(もうだいぶ前で、いい加減な記憶ですが)


今までのKorvaさんへのコメントの中で
一番真面目っぽく、
しかもいつも以上に長くなっちゃいました〜。
以後、気を付けます ヾ(;´▽`)ヾ
2017-01-17 火 13:18:53 | URL | HeartLiberty [編集]
HeartLibertyさん、コメントありがとうございます^^

そうですね。
水は、無意識の領域を表したり、
無意識の浄化を表すことが多いように感じますね。
精神的なことに対する関心が大きくなっているときに、
水に関する夢を、よく見るような気がします。

HeartLibertyさんの言うことに反して、
私はネガティブなものを溜め込んでいるので、
そういう浄化というものは、私にはかなり必要だと感じます。

でも、祓うということに関しては、私は少し違う考えを持っていて、
ネガティブなエネルギーは、
(絵の解釈で言った、自律的コントロールによる浄化の意味で)
ネガティブな状態から、そうでない状態に変化させることはできても、
自分のところから別のところには、移動できないだろうと思います。
穢れを祓うと(それができると思うと)、
心理的には、投影のような働きが強くなり、
自分が実際より良く見え、
他者が実際より悪く見えるようになる、と感じます。

人は、罪悪感や自己嫌悪を持つ人を、
ゴミ箱にしてよいと感じるので、
色々な方法で、その人にゴミを押し付けようとします。
自分の穢れを払いたい人は、
人に罪悪感や自己嫌悪を持たせようとするように見えますし、
罪悪感や自己嫌悪のある人は、
ネガティブな役割を演じることに違和感を感じないですね。

スピリチュアリズムでも、
ヒトラー的なことを一つもしてない人を、
ヒトラー呼ばわりして平気な人は珍しくありませんが、
そういう人ほど、精神的な優劣の価値観において、
自分を「精神的に優れた者」とし、
優れた者のみの世界を実現したいと考えます。
そして、この「優れた者のみの世界」というのは、
ヒトラーが実現したいと考えていた世界でもありますね。
自分が嫌悪しているものと精神構造が同じなのです。

発明家の政木和三さんのお話は、非常に興味深いですね。
そういう霊的な現象でも、
客観的に確認できる事例はごろごろしていますね。

私が実家にいた頃、霊的な現象が頻発していたのですが、
その現象の内容が、兄に起きていた現象と全く同じだったので、
これは、自分の錯覚や思い込みではないと確認できました。
ちなみに、その現象は実家を離れたら、全く起こらなくなりました。
2017-01-19 木 11:30:16 | URL | Korva [編集]
おはようございます ❀(*´◡`*)❀
Korvaさんの言われる
「一般的ではない思想や価値観」
はどのようなものになりますか?


Korvaさんは “相対の世界” で
生きておられるのかな・・・?
と感じました。


「発明家の政木和三さんのお話は、
 非常に興味深いですね。 」


と書いておられたので、
“絶対の世界” に生きておられたように見える
政木さんの思想的なものが
示されているページに行きました。

Korvaさんに読んで頂きたい
彼の文章があります。
(特に真ん中辺の〈追記〉のところ)
http://world.agosu.jp/page054.html



もうひとつ・・・

こちらは、Korvaさんにとっては
「一般的ではない思想や価値観」
の極み以外の何者でもないかもしれませんが・・・

今朝これがメールボックスに届き、
読んでみたら
Korvaさんのことを思い出しました。
http://ameblo.jp/oranger13/entry-12238844340.html?frm_src=favoritemail

本日はこれで終わります。
2017-01-20 金 11:11:41 | URL | HeartLiberty [編集]
追伸
政木さんのようにあんな風に徹底して
絶対の世界に生きられたら
「美しい言葉」が
本当に清らかに響くと感じました。
私なんかの言葉で
とても伝わるものではないと思いました。
2017-01-20 金 11:57:37 | URL | HeartLiberty [編集]
HeartLibertyさん、コメントありがとうございます^^
悪意はありませんが、お気に障る所があればすみません。

私の言う一般的な考えとは、
それが正しいと証明できたり、証明はできなくても、
多くの人が経験できたりすることに基づく
認識や思想や価値観、という感じでしょうか・・・

証明することも経験することもできない、
単なる個人的な願望に基づく思想や価値観は、
あまり一般的なものとは言えないと思います。
そして、スピリチュアリズムには、
こういう思想や価値観が比較的 多いと感じます。

太陽が存在するのは、
ほとんど全ての人が「経験」できるので、
太陽が存在するという思想には、
信じる必要も、信じる努力も必要ありません。

見えない世界についても、多くの人が経験によって、
その存在を知っていますが、その経験の無い人にとっては、
否定する対象になるか、信じるべき対象になるかです。

人が何かを信じる場合、その動機は、
「そうであってほしい」という願望があると思います。
死後、天国に行きたいという願望があれば、
そうでない人より、天国の存在を信じるようになりはずです。

見えない世界の経験の無い人が、
見えない世界を否定するのは、ごく当然のことですが、
経験できなければ存在しないということは、もちろんありません。

たとえば、数学者には当然のこととして存在する、
沢山の数学的な法則は、数学的能力が発達してない人には、
その存在を、実感を持って認識することはできません。
しかし、これも厳然として存在するもので、
ごく一般的な考えだと思います。

人は、身体的な条件、精神的な条件、経済的な条件など、
色々な条件によって、経験できる世界が違っていますし、
人はそれぞれ、違う世界を見て経験しており、
その経験の違いから、違う思想や価値観、世界観を持つようになります。

スピリチュアリズムでは、
魂のレベルや精神性の高低の違いから、
思想や価値観の違いが生まれるとされていると感じますが、
私は、主に、そういう条件や立場の違いから、
思想や価値観の違いが生まれていると思います。

たとえば、共産党の幹部なんかは、
超豪邸に住んでブルジョワな暮らしをしていますし、
宗教のお偉いさんたちも同じようなものだと思いますが、
なぜこのようになるのかというと、
彼らの立場や、取り巻く条件が、最初の頃と変わってしまったので、
思想や価値観も自然と変わってしまうのだと思います。

共産主義にしても、宗教にしても、
思想や価値観が固定された、絶対的な世界ですが、
思想や価値観を固定したまま、
自分を取り巻く立場や条件が変化すると、
その思想や価値観が「偽善化」してしまいます。
というのは、自分が経験している世界が変わってしまえば、
内心では思想や価値観も変わってしまうのに、
口先では前と同じようなことを言わなければならなくなるからです。

スピリチュアリズムでも、この構造は同じで、
思想を固定化、絶対化すると、その思想は段々偽善化してきますし、
それを正当化するための、魔女狩り的なことも当たり前になります。
何かを絶対化すると、それに反するものが悪になるからです。
なので、私は、物事を絶対化するのは危険な兆候だと、
今のところは感じています。

立場や条件が変わって、違う世界が見えてくれば、
以前は見えなかったものが見え、
以前は分らなかったものが分かるということで、
その経験に基づいて、思想や価値観が変化しても、
それは、単に、昔より視野が広がり、
認識が拡大したということかもしれません。
または、変化するようなものは、最初から本物ではなかった、
ということかもしれません。

HeartLibertyさんが、
私が相対の世界で生きているというのは、
真意は分りませんが、多分 正しいと思います。
世の中が右に寄り過ぎているときは、左派が正しくなり、
世の中が左に寄り過ぎているときは、右派が正しくなる、
というような考え方なので。
おそらく、絶対的な世界に、私の席は無いと思いますし、
無理にそこにいれば、私は思想犯になるでしょう。

そう言えば、キリスト教を勉強しているとき、
一番 心にしっくり来たのが、
「信仰による人間疎外」という本でした。

HeartLibertyさんは違うと思いますが、
私がスピリチュアリズムに少し懐疑的なのは、
自分のエゴを正当化したり強化するために、
スピリチュアリズムの思想を利用する場合が多いと感じるからです。
自分が黙々と行う場合ではなく、
他者に求める場合は、特にそうだと感じます。

多分、HeartLibertyさんが言いたいのは、
そういう立場や条件によって変わってしまうものではなく、
「無私の愛」のような、
もっと普遍的な価値を持つもののことを言っているのだと思いますが・・・

そして、記事のご紹介、ありがとうございます。
オレンジャーの方は、最初、
あるスピリチュアルブログのコメント欄で知って、
何度かコメントのやり取りをしたことがありますが、
私が共感できる数少ない方でした。
今も時々拝見しています。
2017-01-21 土 11:35:12 | URL | Korva [編集]
おはようございます ❀(*´◡`*)❀
Korvaさん、お考えを丁寧に書いて下さって
ありがとうございます❀(*´◡`*)❀


今回のコメント、とてもうれしく思いました。
思想的な違いで喧嘩になったり、
国同士だと戦争になったりしますが
(←オレンジャーさんを含む
 多くの方が言うように、
 実はこれも“影の勢力に仕組まれたこと”
 ということになりそうですが)、
このように異なる意見を
冷静な心で以って交換し合えることは、
とても素敵なことだと思います。


信じている考え方の “お陰で”
自分や身近な人間が幸せ (happy) になることの
《役に立っている》という実感があるとき、
その考え方を信じる気持ちの中に、
Korvaさんのコメントにあるような

「人が何かを信じる場合、
 その動機は、『そうであってほしい』
 という願望があると思います。 」


という、
それがまったく皆無だと思います。

つまり、
「『そうあってほしいという願望』
 とは似ても似つかない動機で、
 人が何かを信じる場合がある。」
ということです。

そういう場合は、冷静で安定した心の状態で
自分の考えを信じているために、
誰かに真意を誤解されても
「相手は自分のことを誤解している。」
と感じるだけで、
「自分を否定された。」
とは “絶対に” 感じません。


願望で何かを信じているというのは
「迷いの中でそれを信じている状態」
のような気がします。
そうした心境下では
Korvaさんの意見にもあるような
「自分のエゴを正当化したり強化する」
願望といったものが、
どうしても湧いてきてしまうのかもしれませんね。
“独善” どころか
深層心理では信じ切れていないので
どうしても独善っぽい振る舞いに
なってしまうのだと思います。



政木さんの仰る “絶対” は、
いわゆる「宇宙絶対の法則」
のようなときに使われる種類の “絶対”
だと私には感じられます。

一方で、Korvaさんが仰る “絶対” は、
“独裁” とか “独善”
に近い意味だと感じます。

言葉というものが如何に真実を表さないか。」
ということを
オレンジャーさんは繰り返し書いています。


「私が共感できる数少ない方でした。
 今も時々拝見しています。 」


そうだったんですね?!
それはもう、
話題が尽きなくなりそうです ლ(╹◡╹ლ)


「・・・われわれ宇宙人の間では、
 このエネルギーを使うことは常識なのだが、
 まだ地球人には一般化されていない。
 そう、一般化されていないだけなのだ。
 一部の地球人はその存在を知っている。
 だが、それを公表しようとすると、
 影の勢力によって抹殺されてしまうのだ。」

(2013-03-17:『宇宙エネルギーの活用』より抜粋)

なんてことも、
オレンジャーさんのブログには
きっちり書いてあります。


Korvaさんの言われる “一般的なもの” は、
オレンジャーさん(私も彼と同意見)が繰り返す
「地球人に一般化されているもの」に相当し、
これこそが「洗脳されている常識」
だと考えられます。


Korvaさんの
「それが正しいと証明できたり」
についてですが、
「どのような方法で証明するか?」
という方法論が、そもそも今の地球の現状では
「意図的な洗脳に基づいた方法論」
とならざるを得ないので、
「宇宙絶対の法則によって正しく証明できたもの」
には、なりようがありません。



ひとつ、Korvaさんに真剣に
謝りたいことがあります。

前回《相対・絶対》という言葉を使い、
政木さんのページを貼らせて頂きました。
理由は、あのページに出てくる
“絶対” という言葉の意味するところを
Korvaさんにご紹介したいと思ったからでした。

あのページ上の “相対” の方は、
Korvaさんらしさとは《正反対》
なまでの “相対” であると認識していながら、
その大切な但し書きを前回はサボりました。
言葉足らず、ホントにごめんなさい。

あの “相対” はむしろ
Korvaさんが “スピリチュアリズム” 、
私が “spirituality arrogance” とか
“サイキッック誇(ぼこ)り” という言葉で
表現するような人間心理
につきものの “相対” のひとつに
近いように思います。

自分のエゴを他人に押し付け、
でもそれらは自分の精神性の高さから出た
親切心ゆえの言動であると考えるようにして、
言動を向けた相手から見返りを期待する心(?)
と言ったら良いのでしょうか。
これも「自分と相手という相対の世界」だと思います。

政木さんの表現で言えば
「人と人との関係に重きをおく世界」のことです。

彼が “神” を持ち出すからと言って、
独裁的で宗教的な
「思想の固定化、絶対化」
の匂いは、私にはまったく感じられません。
独裁どころか、頭が下がるほど
謙虚な方だったように感じられます。


私も、宗教や否定的な意味に於ける
スピリチュアリズム的なものは、
まさに、
「信仰による人間疎外」
だと感じます。



「私がスピリチュアリズムに少し懐疑的なのは、
 自分のエゴを正当化したり強化するために、
 スピリチュアリズムの思想を
 利用する場合が多いと感じるからです。
 自分が黙々と行う場合ではなく、
 他者に求める場合は、特にそうだと感じます。」


これにもまったく同感です。
“サイキック誇り” で思い出しましたが、
サイキック誇りの人(?)に絡んで
過去に面白い体験をしました。

どんなことかというと・・・
スピリチュアリーティーも
商業化していますが、
そういった関係で癒し的なお仕事(なのかな?)
をしている人と話していて、
話の流れで私自身の霊体験をシェアすると、
いきなり真っ赤になって
「実は・・・私にはそういう能力はないの。」
と慌てたように言うのです。

オレンジャーさんも繰り返し書いていますが、
そういった潜在能力のない人間など
いるはずがないのに・・・。
ただ、本来的に持っている能力の使い方を
私たちの多くが
ただ忘れてしまっているだけなのに・・・。

ですが、きっと彼らは
そのことを知らないのでしょう。
だから上記のような
言い方になってしまうのだと思います。
同じ反応を複数の人からされるということが、
立て続けに起こった時期があり、
そのことを思い出したので書きました。

周波数帯的に
オレンジャーさんが
「思い出して欲しい。」
と願ってくれているものとは違うところと
同調してしまっている状態を
「サイキック誇り」
してしまっているケースもあるようですね。
「守って頂いている。」
という気持ちになる代わりに
「この状態から何とか抜け出したい。」
という霊体験になってしまうようです。


Korvaさんが
「相対の世界で生きている」
と書いたことについてきちんと説明します。
私の意味する “相対の世界” というのは、
そこからKorvaさんが出て
“絶対の世界” に移動したとしても
思想犯になどならないような(笑)、
そんな “相対・絶対” です。

「KorvaさんがそもそものKorvaさんでいられる世界」
または
「今よりしっくり感じられる
 (=ハッピーな気持ちが増える)
 ような世界(もちろん、Korvaさんにとって)」

というのが
私の考える絶対的な世界です。


Korvaさんは他人との相関でご自身を比較し、
その比較(相関)の中で
いつもご自身に対して
《自虐》とも取れるような意味を与えて苦しんだり、
(Korvaさんの場合、誠実さゆえに
 そうなってしまっているように見えるのですが)

かと思うと大きく逆に振れて、
今度は「おれ」がする体験に基づいて
自己肯定を自分に強く許可する・・・
(自虐を立て直そうとする?)


そんな繰り返しを
“ハッピーでない気持ちで”されているような・・・

自虐に陥いったり
他者にそれを見るときのKorvaさんは
「俺」から抜け出せていないときのKorvaさんです。

このように、Korvaさんの中の
「俺とおれ」が、
長いこと闘い続けているような感じがして
「そんな相対の世界から抜け出して
 絶対の世界の方に
 Korvaさんの席を確保して!」
そんな気持ちが湧いてきたときに、

「Korvaさんは相対の世界に生きている。」
という表現が出てきました。


当初から、私がKorvaさんの中に見ているのは
Korvaさんの「おれ」方で、

Korvaさんがご自身の中に見ているのは
「俺」と「おれ」の両方なのではないかと・・・

その間で揺れ動いているのではないか・・・

Korvaさんが「おれ」になるのを邪魔しているのは
オレンジャーさんが言い続ける
「洗脳の呪縛」
に他らならないのではないかと・・・

「俺」を意識する洗脳度があまりに強すぎて
それが「おれ」を圧迫しているのではないかと・・・

オレンジャーさんのこの記事を読んだ直後、
そんな風に感じたのでした。

昨日のオレンジャーさんの記事も
Korvaさんに是非読んで欲しい!
タイトルは『心底楽しむ』です!!
(http://ameblo.jp/oranger13/entry-12239456631.html)

一昨日の『二極の統合』という記事の

「でもこの理解しようとする
 行為そのものが
 トリックスターであり
 理や真実から
 あなたを遠ざけてしまうんだ。」


の方も
Korvaさんの中の「おれ」を増やすことを
パワフルに応援しそうです。
http://ameblo.jp/oranger13/entry-12239198659.html




オレンジャーさんですが、
最近はコメントはやめてしまったみたいなので、
やり取りをされたことがあるということは、
Korvaさんの方が古くからの読者さんですネ!

これは夫がしたことですが、
彼は膨大な量のオレンジャーさんの記事を
以下のようにカテゴリー分けをしました。

・宇宙および宇宙人〜数字
・オレンジャー
・お金
・パワースポット
・食+水+プラーナ
・細胞
・脳
・神
・オーラ
・石
・洗脳および誤った理解
・人間および地球(3次元の世界)
・日本および日本人
・肉体および魂
・意識=マインド
・特殊な能力をもつ者
・感覚・感情
・人生
・言葉・メッセージ・サイン
・人間関係・仲間
・幸せ
・未分類

ゆっくりと読まれるお時間があれば
Korvaさんの「一般的な考え」の定義も
今とはまったく異なるものに変わるかと・・・。


オレンジャーさんのブログ発信の
目的のひとつに
「一人でも多くの地球人に
 今より幸せになって欲しい。」
ということが最低でもあるように
私には感じらます。
(それが「地球や宇宙のため」
 にも繋がるという風にも
 感じておられるのではないかと思います。)
間違った常識(地球人にだけ通用する
“一般的な考え” )という囚われから
1日も早く目醒めることによって・・・。



「人は、身体的な条件、精神的な条件、
 経済的な条件など、 色々な条件によって、
 経験できる世界が違っています。」


ですが・・・
“精神的条件” はオミットできませんが
“身体的な条件” と “経済的な条件” の方は
似たような条件下にある人間が
《経験する世界はまったく真逆》
という実例に事欠きません。
そこが一番、面白いところなのかもしれません。

Korvaさんのところでこんなにいっぱい
スペースを取ってしまってゴメンなさい m(_ _)m
2017-01-22 日 09:59:17 | URL | HeartLiberty [編集]
おはようございますm(_ _)m
本日オレンジャーさんからこれが届きました。
http://ameblo.jp/oranger13/entry-12239792136.html

心から共感できる内容でした。
Korvaさんのお考えに
もっとも近いもののひとつ・・・
なのではないでしょうか?


あらゆる場面で
このことは真理だと思うのですが、
私の場合、医療的なことで
自分の意見を述べるときも、
このオレンジャーさんのメッセージを
心から離さないことが
もっとも大事なような気がしています。

なかなか以って未熟者で、
それがわかっているからこそ
更にこうしてオンタイムで(シンクロして)
メッセージを頂くことができることに
感謝の気持ちでいっぱいです。
やはり宇宙の情愛の深さは
果てしないです。
自分のそれの貧弱さを教えてくれます。
2017-01-23 月 06:52:38 | URL | HeartLiberty [編集]
HeartLibertyさん、コメントありがとうございます^^

基本的に、HeartLibertyさんの考えには賛成で、
否定したい考えというのはありませんが、
一応、自分の考えを説明すると・・・

HeartLibertyの信念によって、
自分や周りの人が、実際に幸せになっているなら、
それは自分の経験と実感によって確かめられることなので、
私の言う、一般的な考え方に相当すると思います。

私は、客観的な方法はもちろん、
主観的な経験や実感に基づいたものでも、
何らかの方法で確認できるものに基づいたものであれば、
どのような思想や価値観でも否定するつもりはありませんが、
最低限の、主観的な経験や実感も無いのに、
教義化されているような思想もあると思うのです。

誰も、自分の目で見たことも無いのに、
歴史的な事実だとされているようなこともありますし、
原理主義的な宗教なんかでは、
それが何らかの方法で、正しいと確認できる、
原理主義的な思想というのがあるのかは、
非常に疑問ですが、その教義で、
自分も周りも、事実として不幸になっていても、
天国に行きたいからとかの理由で、
その教義に固執している人もいたりしますね。

原理主義がなくなるか、
全ての人が原理主義を受け入れるかするまでは、
原理主義者と、それ以外の人との葛藤はなくなりませんが、
これは、事実ではなく、願望に基づいた思想によって、
引き起こされる葛藤だと思います。

自分と他者との関係は、主観的にも客観的に確認できますが、
自分と神との関係は、主観的にも客観的にも確認できませんし、
確認する方法も無いと思います。

実際に、神から、自分と神との関係について、
良い関係だとか悪い関係だとか言われたなら、
一考の余地はありますが、依然として、
果たして、それは、本当に神なのかどうか、
という疑問は残ります。

自分は何々だと自称しても、実際には違うこともありますし、
見えない世界の住人は嘘をつくことが無いのであれば、
彼らの言うことには矛盾が生じないはずですが、
実際には矛盾があります。

政木さんの言う、絶対、相対の思想は、
今のところ、彼の思想を理解してないので分りませんが、
今回、HeartLibertyさんが言っているような、
絶対の世界なら行ってみたいとも思いますね。

そして、オレンジャーさんの今回の記事の言っていることが、
大体、私の言いたいことでもあります。
スピリチュアル・ブログというのは、
なぜか、こういうシンクロ現象がよくありますね。

それと、今の私は、人と自分を比較して、
自分を自虐したり嫌悪するということは、あまり無いと思います。
でも、アドバイスは、ありがとうございます^^
割と自分に否定的な人というのは、
勝手に自分が思い描く「立派な人」のイメージと自分を比べてることが
多いのではないかと感じます。
昔の私はそうでした。
今の私の精神的な問題は、私の育った環境から来る、
「複雑性PTSD」なんじゃないかと思っていますが、
そのうち徐々に、何とかなるのではないかと思います。
2017-01-24 火 12:18:24 | URL | Korva [編集]
こんばんは ❀(*´◡`*)❀
そうなんです。
(お久しぶりなのにいきなり始めてスミマセン)

古い記事を拝見して
「Korvaさん、自虐しすぎ!」と感じた
その気持ちのまま
前回は書いてしまいました (;´▽`)

そういえば私の中のKorvaさんのイメージに
「深刻さを伴うような自虐」を感じたりなど
していないのは、
ずっと最近の記事を読ませて頂いて
いるからなのでしょう。

自然の息吹を繊細に感じながら、
奥さまともそんな時間を大切にされていて・・。
自分を大事にされておられるし、
自然を愛するマイペースなアーティストさん
といった感じですよね。


なにかトラウマになるような
過去のとても辛い経験から、
「深く思索する」ことを
いっぱいいっぱいする人生を
Korvaさんご自身がご自身の意志で
選択されたんだろうなあ(生前)と
私は感じているのですが・・・。
Korvaさんご自身は
別の見方をされている・・・?


コメントの中でとてもHappyだったのは
「今回、HeartLibertyさんが言っているような、
 絶対の世界なら行ってみたいとも思いますね。」

でした。

「そもそもの自分でいられるところに行ってみたい」
というのは、
「自分らしさを信頼している」
ということだと感じました。

(少なくとも今日までの)現代社会
(特に先進国?)に於いて、
「自分らしさがマジョリティーには属さない(?)」
という感覚がKorvaさんにおありなのでしたら、
我が子2人も私も同種かもしれません(笑)。

たくさんの人が「こうはなりたくない!」
ということの中に素敵さを感じたり、
「こうなりたい!」という状況に
ちっとも魅力を感じなかったり・・・。
特に「あまのじゃく」っぽい性格では
ないんですけれど・・・。

「神」のことですが・・・。
その存在を確認したいという願望が
Korvaさんの中に存在する・・・
のでしょうか・・・?

神というとき、私はどちらかというと
何か特定の対象をイメージしているのではなく、
「宇宙に存在する愛のエネルギーそのもの」
と言ったら良いのでしょうか、
そんな感じの表現が一番近いかもしれないです。


「自分は何々だと自称しても、
 実際には違うこともありますし」


知人が、マリアさまがいきなり目の前に
現れたときの話を聞かせてくれたことがあります。

「見えない世界の住人は嘘をつく(矛盾もある)。」
というKorvaさんの言葉に共感します。

私は肉眼で、いわゆる「霊」といった存在は
これまで見たことはありません。

シンクロ現象はKorvaさんも
かなり日常茶飯事みたいですね。

シンクロや引き寄せの起こり方の
極端なまでのミラクルさ加減を思うとき、
やはりあらゆるものごとは
宇宙絶対の法則に乗っ取って
起こっているとしか考えられない・・・
それが今日までの実感です。

「宇宙の仕組みは親切」だと思えることは
きっとありがたいことなのだろうなあ・・・
という感覚はあります。

今日はこのくらいで終わります。
すぐに止まらなくなってしまうので ヾ(;´▽`)ヾ
2017-02-01 水 21:39:14 | URL | HeartLiberty [編集]
HeartLibertyさん、コメントありがとうございます^^

少し忙しい日が続いたので、
お返事が遅くなりましたが・・・^^;

自分らしさを信頼するということに関しては、
神が(世界が)自分をどのような存在として創ったか、
という意図を信頼するということでもあると思います。

人間は、明らかに、他の動物とは違う、
知的な存在として創られていますが、
聖書には、人間の原罪として「知恵の実」を食べたこと、
つまり、人間が人間らしいこと そのものが、
人間の持つ罪として定められています。

これを、そのまま解釈すれば、
神はかなり邪悪な存在ということになりますが、
単に、神ではない何かが、人間に仕掛けた、
人が自己実現をすることを妨げるトラップ、または、
人が永遠の輪廻から抜け出せなくするためのトラップ、
かもしれませんし、スピリチュアリズムにも、
この手のトラップが多いように感じます。

宗教でも、スピリチュアリズムでも、
人間はこうであるべき、
という価値観や思想が溢れていますが、
そういう価値観や思想の根拠というものは、
個人的な好みや都合ということが
多いように感じます。

私の場合、人に対して憧れを感じることが、
ほとんど無いのですが、
自分に似ていて、自分より優れた人に対しては、
憧れを感じることが時々あります。

なので、人間はもともと、
自分とは異質な何かに成りたいわけではなくて、
より優れた自分になりたいのだと思いますし、
より自分らしい自分になりたいのだと思います。

そして、より自分らしい自分になることが、
世間一般の価値観からすると、
いわゆる損なことに属することも多いですが、
それに逆らいつつ進むエネルギーが、
より優れた自分への愛である、
憧れのような感情なのだと思います。
2017-02-06 月 10:45:41 | URL | Korva [編集]
こんにちは (^^)
のんびりペースでKorvaさんとおしゃべりすることが
楽しみのひとつになっている感じです ヾ(*´∀`*)ノ

前回のコメントを読ませて頂いた後、
私はとても “心丈夫” な気持ちに満たされました。

“より優れた自分になりたい” は
あまりピンとこなくても、
“より自分らしい自分になりたい” という表現は
自分の心にドンピシャリと刺さってきました。

「・・・損なことに属することも多いですが、
 それに逆らいつつ進むエネルギーが、
 より優れた自分への愛である、
 憧れのような感情なのだと思います。 」


読んだときに、
(上手く表現できないのですが)
なんだか、この地球上に
新しいきょうだい(仲間?)を見つけたような
そんな気がしたのでした。

特に、「それに逆らいつつ進むエネルギー」
という言葉が私にとっては新鮮で
いっぺんにたくさん癒しをもらった感じでした。


私が一時期Korvaさんに感じた“自虐”は
ご自身に対する誠実で深い自己信頼の感情との
 ヘルシーなバランスのために
 大いなる愛の理由で存在していたのではと・・・。
 
「人が永遠の輪廻から
 抜け出せなくするためのトラップ」
は、

永遠の輪廻から卒業できるときの
私たち人間の意識が
あちらで本当にハッピーに過ごせるまでの
エネルギー的な(?)状態になるため、
愛ある意図で “お試し” が
繰り替えされているのかなあ・・・
と思ったりもしたのでした。


心の奥の奥で
Korvaさんがどれだけ
「神が(世界が)自分をどのような存在
として創ったか、 という意図」
を信頼しているかがじわ〜っと伝わりました。

私もKorvaさんの言葉に癒され、
とてもうれしく読みました。
(もう随分前ですけど!)
ありがとうございました ლ(´︶`ლ) 
2017-02-26 日 10:03:41 | URL | HeartLiberty [編集]
HeartLibertyさん、コメントありがとうございます^^
お返事が少々遅れてすみません。

スピリチュアリズムはには興味が強いのですが、
経験的に、スピリチュアル系の人とは相性が悪いような気がしていたので、
「新しいきょうだい(仲間?)」と言っていただけたのは、
少々意外でしたが、嬉しかったです^^

より優れた自分というのは、
より個性化された自分とか、より自分らしい自分とか、
より自己実現した自分とかの意味に近いです。

能力的な優劣なんかは当然ありますし、
どの世界でも優劣が問題にならないような場所はありませんが、
存在としての優劣は、私も無いだろうと思います。

しかし、特に価値観や思想が統一される場所では、
自動的に優劣が生じてしまいますね。
しかも、事実に基づく優劣が大嫌いなひとは、
思想や価値観によって生じる優劣は大好きだったりしますね。
何一つ悪いことをしてない人が、悪人だとされたり・・・
スピリチュアリズムの世界は、
比較的こういう人が多いと感じます。

考えてみると、
私が自虐的に見える要素というのは、あるような気もしますね^^;
自分としては、自分の表層意識にある、
「人工的なプログラムのような部分」について懐疑的なだけでも、
人からは、自分を信じていない態度や、
自己否定、自虐のように見えるのかなと思います。
自分としては、どうでもいいガラクタを取り外したいだけですが・・・

その反対に、私から見ると、
ガラクタの城を築き上げようとしている人に見える人というのも
いるわけですが・・・
私も、経験がありますし、今もかなりの部分がそうですが、
そのガラクタの城は、相当居心地の良い場所だとは思いますし、
休息期間として、必要な場合もあるかもしれません。

「私たち人間の意識が
 あちらで本当にハッピーに過ごせるまでの
 エネルギー的な(?)状態になるため、
 愛ある意図で “お試し” が
 繰り替えされているのかなあ・・・」

というのは、多分そうなんでしょうね。
そして、その「お試し」の結果、どういう存在になるかは、
その人の役割によって、全く違ったりするのかもしれません。
2017-03-03 金 13:33:29 | URL | Korva [編集]
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まとめ

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