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Korva

Author:Korva

コルバのブログへようこそ♪
"Korva"とはフィンランド語で「耳」という意味。なぜかスピーカーのことを考えてると幸せ。よい音とは何か、そして理想のスピーカーとは何かを日々考え追求しています。

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やっと100回
このブログは、今回の記事で、ちょうど100回目の記事となります。
毎日、更新されている方などから見れば、
100回目の記事など、3ヶ月ちょっとで達成なので、
失笑ものだとは思いますが、
Korvaは、文章を書くのが、かなり苦手な方なので、
こんなことでも、割と達成感があったりします。

最近は、そうでもないのですが、
特に小学生の頃などは、文章を書くのは苦行そのものでした。
国語の時間に、作文などありましたが、
Korvaは、時間内に仕上げられなくて、放課後に1人ぽつんと残されて、
作文を書かせられたりしたことが、よくあります。
成績自体は良い方だったので、これは結構 屈辱的な感じで、
今でも、文章を書くことに関しては、軽いトラウマがあります。

当然、一番苦手な教科は国語で、
テストなどでも、間違った問題の正しい答えを見ても、
なぜそれが正しいのかが理解できない、という有様でした。
その代わり、図画工作などでは、
何か描いたり作ったりするたびに、表彰状をもらっていたので、
審査する人に、何かの理由で、えこ贔屓されているのでは?
と、かすかに疑いを感じていました。

しかし、長ずるにつれて、ほとんどの人は言語的に思考しているのに、
自分は言語的に思考していない、と言うことに、なんとなく気がつき、
今では、言葉を操るのが苦手なのは、
ある程度しょうがないことだとは諦めていますが・・・

TVのサイエンス番組とかでも、
「人間は、言葉を使って思考している」とか言っていたり、
Korvaは、超常現象の番組とかは大好物なのですが、
そういう番組の、テレパシーの話題でも、
外国人や宇宙人とかは、使う言語が違うので、
テレパシーは通じないはずだ、などと言っているのを聴くと、
Korvaは、子供心に、
「人間はもともと言葉で物事を考えてないのに、
この人たちはおかしなことを言うなぁ」
などと思っていました。

というのは、もともと、Korvaの思考形態が、
何かを意識すると、それについての、
思考の塊(カタマリ)が意識に浮かび上がってくるという感じなのですが、
その塊自体は言語的な内容を持っていない、イメージの塊のようなものです。
そして、その内容を人に伝えたり、明確な形として記憶する必要がある場合に、
(言語化しない場合、変形・消滅が早いので)
初めて、言語に翻訳すると言う感じです。

なので、テレパシーも(そういう現象があると仮定して)、
この思考の塊を相手に渡すだけで、何を考えているのかは、すぐに伝わるはずだし、
言語に翻訳する必要がある場合でも、それを受け取った側が、
自分が使う言語に翻訳すればいいだけの話ではないのか、
などと思っていたわけです。

しかし、Korvaは、その翻訳作業が結構 面倒くさいので、
イメージの内容が、言語で表現するには微妙で困難だったり、
思考の塊のサイズが大きすぎたりして、
どこから手を付けていいのか分からない場合など、
面倒になって翻訳を放棄するということがよくあります。
なんとなく、思考のアナログ→デジタル変換と言う感じもしますね。

そして、ほとんどの人は、
デジタル的な、言語思考をしているので、
この翻訳の手間が要らないわけですね。
特に、しゃべるのが上手な人などは、
言語思考が発達していて、言語的に思考している過程を、
そのまま口にすればいいだけなんだろうなぁ、
などと思って、一抹の羨ましさと共に、眺めています。

まぁ、そんなわけで、Korvaは、他のブロガー様のように、
軽妙洒脱な文章は欠けませんし、
いかにも変換しましたと言う感じの、
単調で乾いた文体になるわけですね。
訓練すれば、いくらかは上達するでしょうが、
もともと言語思考の得意な人ほどには、ならないだろうなと・・・

たぶん、こういう思考形態の違いは、
右脳優勢か、左脳優勢かによって決まるのかなとは感じます。
Korvaの場合、感情や印象が、自動的に頭の中で音楽に変換されます。
これは頭の中で、音楽を意識的に作ると言うより、
はじめから存在している音楽を、ただ聴いているという感じです。

そして、これが、言語思考をする人だと、
感情や印象が、自動的に言葉に変換されると言う感じなのでは?
と想像していますが、たぶん、それほど遠くないと思います。

まぁ、こういう感じなので、音楽の好みも偏っていて、
昔は、歌詞のある音楽は嫌いでした。
歌詞の言語的な意味が理解できても、
そこから伝わるイメージの良さが分からないので、
(歌詞の意味を本来の意味とは違った風に理解しているから?)
音楽に歌詞を付ける意味が分からない、
という感じでしたね。

なので、歌詞の無いクラシック音楽とかは結構好きでした。
音だけでイメージを構築するほうが、言語的にイメージを構築するよりも、
はるかに叙情的で、訴える力が強く感動的だと思っていました。
Korva的には、感情 ≒ メロディー で、
両者は質的に、かなり近い存在だと感じるのです。

後年、谷山浩子さんの音楽に接するようになってからは、
歌詞のある音楽も、なかなか相当に良いものだなぁ、
と考えを改めましたが・・・

しかし、谷山さんの場合、
歌詞が意味不明だという意見も、無くは無いのですが、
歌詞の意味がデジタル的に明確に分からなくても、
そこから伝わる世界観のイメージとか雰囲気とか、
Korva的には、何物にも変えがたいものがあるなぁと・・・

おそらく、彼女の場合、ユング心理学的な、
イメージ言語というか、魂の感覚を生起させるような、
言葉の使い方を、意識的か無意識的か分かりませんが、
してますよねぇ・・・日常的で一般的ではない言葉の使い方を・・・

それで、谷山さんの音楽がしっくり来るのも、
たぶんKorvaが言語思考をしないせいで、
風変わりな言葉の使い方をする彼女の歌に、違和感を感じないのと、
その独特な世界観に、忘れていた魂の感覚のような、
懐かしさや、やすらぎを感じるからだろうなぁ、
と思うのです。
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未分類 | 15:15:09 | トラックバック(0) | コメント(4)
コメント
随分前の記事に対するコメントですみません。

それ自体は言語的な内容のない「思考の塊」が意識に浮かび上がってきて、それを翻訳するという感覚に、とても共感しました。
確かに、「デジタル変換」という感じもしますね。
でも私の場合、霊能者のような感覚というわけではありませんし、音楽に変換するのは苦手かな、と思いますし、更には文学的もありません。

霊的なテレパシーのようなものも、知的直観のようなものも、様々な分野の芸術的インスピレーションも、あるいは日常のちょっとした気づきすらも、私は同じ形式を持っているような気がしています。
つまり、Korva さんがおっしゃる「思考の塊」とその「翻訳」あるいは「変換」です。
まず全体が一挙に与えられ、それが自分の比較的得意な能力を通じて、時空の広がりを持つものとして表現されるのだと思います。
大きなサイズの「思考の塊」がやってくるのは私には嬉しいことです。
それは、全体を言語化するのに、場合によっては何年か掛かることもありますが、自然と自分の思想として形を取るようになってきませんか?

私は Korva さんがお書きになる「乾いた文体」がとても好きです。
「単調」だとおっしゃっていますが、整然としてリズミカルに感じます。
言葉を操るのが苦手とおっしゃりながら、こんなに美しい文章がかけるのは実に羨ましいです。
実は私も、喋ったり、文章を書いたりするのが得意ではありません。
「思考の塊」がやってきて、その翻訳をするのは良いのですが、そうでない時に、ものを言ったり書いたりするのが、しばしば妙に難しいと感じるのです。
昔、大学入試の時、小論文を書かせる大学があり、一行も書けなくて・・・落ちましたね。(笑)
2014-11-19 水 14:16:36 | URL | Ariane [編集]
Arianeさま、コメントありがとうございます^^

「霊的なテレパシーのようなものも、知的直観のようなものも、
様々な分野の芸術的インスピレーションも、
あるいは日常のちょっとした気づきすらも、
私は同じ形式を持っているような気がしています。」

これは、私も全く同感です。
よく芸術家が、「作品の形は始めから存在していて、
自分はそれを取り出しているだけ」
なんてことを言いますが、私もこの感覚には非常に共感します。
どんな作品でも、その完成形というのは始めからあって、
人のできることは、いかにそれをクリアーに見て、
始めから存在するその形に、どれだけ似せられるか、
なんて思います。

日常のちょっとした思考や、感情や印象も、
それと同じ形式で生起していると感じます。

そして、それらの違う形式での生起は、
パソコンにインストールされているプログラムが起動している状態というか、
人の脳に後天的に与えられた、
人工的プログラムによる思考や感情の生起で、
このほうが自分自身が考えているようで、
実は他者にインストールされたプログラムで動かされている
ロボット状態なのでは?とも思います。
といっても、自分が、自分の意思でインストールしたプログラムなら、
それほど問題がないかもしれませんが。

もしかして、脳をコンピューターとして使うタイプと、
チューナーとして使うタイプがいるのでは?とも感じます。
もっとも、最近のコンピューターは、
ネットに繋いだ状態では、チューナーでもありますが。
人間の脳もそれと同じで、
定義の仕方によって違う使い方ができるのでは?
という感じがしています。

脳も、有限の記憶によって限定された使い方をするのか、
それとも、別のところに繋いで、有限の記憶を超えた情報を取り出すのか、
ということですが、日常の生活でも、
「いつもやっていることだけど、今日これをすると非常に困ったことになるよ」
なんていう強い衝動のようなものを感じている場合に、
「いつもやっていることだし・・・ほら、みんなもやっているから」
なんて思って、いつものようにそれをやって、
結果的に大変なことになる、なんてこともあるわけで、
こういう情報は、
脳内の有限の記憶や思考を超えたものから来ていると感じます。

Arianeさんの、小論文が一行も書けなくて・・・の話は、
超意外な感じですね(笑)
こういうエレガントで洗練された文章は、
自分には書けないなぁと思いつつ、
ブログを拝見しているので・・・

私も、自分より勉強ができない人たちが、どんどん作文を完成させて、
自分だけがぽつんと取り残されるということをよく経験していたので、
自分がなにか欠陥のある異常な存在なのでは?と思って、
いたたまれない不安感や疎外感を感じていました。

肉が大嫌いなので、昼休み返上で給食と格闘するという状況も、
この疎外感を助長していましたが、
クラスにもう一人、肉が食べられない生徒がいて、
この人が長らく親友でいてくれたおかげで、
ぎりぎりのところで救われていたような気がします。
2014-11-20 木 11:41:21 | URL | Korva [編集]
だいぶ前の記事への投稿で済みません。

korvaさんは文章が書けないので悩んでるんですね。

自分はkorvaさんとは反対に、文章とかキャッチフレーズは難なく書けますが、
他人とまっとうなコミュニケーションが取れないことで悩んでます。

多分korvaさんの悩みと自分の悩みがコインの裏表のようなものなんでしょうね。
どちらも普通の人なら難なくできてることが、自分にはできないわけですから。
2015-12-28 月 10:44:48 | URL | ponch [編集]
ponchさん、コメントありがとうございます^^

そうですね・・・コインの裏表の悩みかも知れませんね。

私の場合、言語的な内容を持たない、
思考のカタマリのようなものが、一度にポンとやってきて、
それを、意味が通じるように順序良く並べたり、
言語に翻訳するのに時間がかかるので、
それをするのが非常に面倒ですし、
コミュニケーションでは、それをやってる内に、
タイミングを逸することが多いので、
そもそもやらないことも多いですね。

思考が言語的で饒舌な人から見たら、
馬鹿に見えるんじゃないでしょうか。
なんとなく、日本人が無理やり英語で思考しろと
言われている感じかもしれません。
2015-12-28 月 11:56:26 | URL | Korva [編集]
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