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Korva

Author:Korva

コルバのブログへようこそ♪
"Korva"とはフィンランド語で「耳」という意味。なぜかスピーカーのことを考えてると幸せ。よい音とは何か、そして理想のスピーカーとは何かを日々考え追求しています。

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プログラミングが教えてくれたこと
Korva は、小学生の高学年の頃から、
コンピューター・プログラミングが好きでした。

元々は、コンピューター・ゲームを自分で作ってみたいという動機から、
コンピューター・プログラミングを始めたのですが、
今 思うと、この経験は、自分の人格形成において、
結構 大きな割合を占めているのではないかなと感じます。

子供の頃、Korva の家から一番 近くに住んでいたのがY君で、
幼少の頃から、Y君とはよく遊んでいました。
このY君は、ゲームとかパソコンとかラジコンとか、
そういう、マニアックなものが好きだったので、
Korva も自然と、そういうものに興味を持つようになりました。

のちに、Korva と同じく、体質的に肉を食べられないN君を加えた3人のグループで、
MSX という統一規格のPCを使って、それぞれが作ったゲームで遊んだり、
プログラムを批評しあったりということをしていましたが、
この3人が作ったゲームを見ていると三者三様で、
それぞれの個性や能力が、ゲームという作品に反映されていて、
とても面白かったですね。

プログラミング能力は、Korva が一番 優れていましたが、
N君は、Korva には思いつかない様な、
奇抜なアイデアのゲームを思いつくので、
Korva は密かに、彼に敬意を抱いていました。

一方、Y君は、自分でゲームを作るよりは、
市販のゲームをマニアックにやり込みたいタイプで、
色々なウラ技とかを知っていましたが、
プログラミングのほうは、
小規模でちょっとした習作的なものを作るといった感じでした。

そのうち、こうして作ったゲームは、
今は懐かしい「BASICマガジン」や「POPCOM」などのPC雑誌に、
投稿するようになりましたが、
N君とKorva の作品が掲載されたのは、良い思い出です。
ちなみに、N君は今でも、ゲーム・デザイナーとして活躍しているようです。

プログラミングによって、かなりまとまった数の
ゲームなりアプリケーションなりのシステムを、
自分で作った人には、感覚的に分かる話だと思いますが、
プログラミングにおいて重要になる能力は、
混沌の中から法則性を見つけ出す洞察力と、
物事を論理的に組み立てる思考能力です。
その他にも、物事を多面的に見る頭の柔らかさも、
一つの問題に対して、複数の解法を見つけたり、デバッグをする上で、
重要になるかもしれませんし、
昔のPCはメモリーの容量が少なかったので、
論理的な審美眼も、コンパクトで美しいプログラムを書く上では、
必要になりましたが、今では、これは個人的な嗜好の範疇かもしれません。

当時のKorva は、ゲームのアイデアよりも、プログラミング能力を高めることと、
優れたプログラムが持つ「論理的な美しさ」と「構造的な美しさ」に取り付かれていて、
ゲームを作るときも、構造的・論理的に美しいプログラムを書くことにこだわっていました。

今考えると、なぜあんなに熱中していたのか不思議な感じですが、
この頃は、寝ても覚めてもプログラミングのことを考えていたので、
いつも頭に鈍痛がありましたが、どうしても、
考えずにはいられない心理状態だったのでしょうね・・・
多分、現実逃避の手段でもあったのだと思います。

こういうゲームを作りたいと思って、プログラムを組むと、
まず、まともには動きませんね。

文法エラーなんかは、すぐに修正できるので、特に問題になりませんが、
一般的に問題になるのは、「バグ」と言われる、論理的なエラーです。

論理的なエラーがあっても、プログラムとしては一応 機能するのですが、
プログラマーが意図したようには機能しません。
この状態を、いわゆる「バグってる」状態と言い、
プログラマーが意図したとおりの動作をさせるために、
論理的なエラーを修正することを、
「デバッグ」又は「バグ取り」なんていう風に言いますね。

この「バグ取り」は結構 困難な作業で、
一つのバグ取りに何日も費やすこともありますし、
何日も考え続けた結果、結局バグ取りに失敗することも、
特に、プログラミング初心者の頃は多いですね。

バグ取りが困難なのは、
論理的思考力や洞察力が要求されるからですが、
こういう能力は、あまり学校の勉強では要求されないので、
なかなか鍛える機会が与えられません。

プログラミングに慣れていない頃は、
どこが間違っているのか、皆目 見当もつかない状態です。
なぜなら、頭の中に、論理的に思考する回路が十分に形成されておらず、
こういう回路が無いと、論理的エラーを見つけることができないからです。

論理的エラーを修正するためには、プログラムを何度も読み返して記憶して、
そのプログラムがどのように機能するかを、頭の中でシミュレートし、
どこに論理的な間違いがあるのかを、何日も考え続けているうちに、
頭の中に必要な論理回路が形成されてくることで、
どこに論理的な間違いがあるのかが認識できるようになり、
そこで初めて、論理的エラーを修正できるようになるという感じなので、
脳が物理的に変化するのを、考えながら待つという、
苦しい過程が要求されます。

こういうことを、何年もやっているうちに、
大体どんなプログラムも、自由自在に作れるようになりますが、
これは、プログラミング・テクニックの蓄積という、知識的・ソフト的な側面に加えて、
頭の中に、必要な論理回路が形成されることで、同じような論理的な間違いを、
再び犯しにくくなるという、ハード的な側面があります。

そして、自由自在にプログラムが組めるレベルに到達する過程で、
プログラマー自身も、自分の経験から、ある思想を抱くようになります。

それは、
「自分の思考は完全ではない。
 自分の思考を信じるな」
そして、
「自分に見えているのは一部のみで、全体を把握していない。
 自分の認識力を信じるな」
というものです。

なぜ、その様に考えるようになるかというと、
思考の過程において、自分が犯す論理的エラーは、
その時点の自分には認識できないということを、
繰り返し繰り返し、思い知らされるからです。

先ず、なぜ、論理的エラーを含むプログラムを、
最初に作るのかと言う問題がありますが、
それは、その論理的エラーを含むプログラムが、
その時の自分の論理的思考能力から見て、
正しいように感じるからです。

つまり、明らかに論理的に間違っていることを、
論理的に正しいと感じている場合が、
非常に多いということを、プログラミングを通じて、
幾度と無く経験するのです。

そして、なぜ、明らかな論理的エラーを、論理的に正しいと感じるのかですが、
これは、論理的に構成された全体像の、限られた一部のみしか、
論理的に把握できていないからです。

つまり、論理的に整合性を持って把握できる範囲が狭いために、
論理的構造物の一部と別の部分の論理的な繋がりが把握できず、
そこで生じている論理的エラーを認識できないのです。

なので、論理的に把握できる範囲が広がれば広がるほど、
洞察力が増すので、どこに論理的エラーが含まれるのかを、
見つけやすくなります。

つまり、自分の思考における論理的エラーと言うのは、
その時の自分からは見えず、
論理的思考能力の向上と、論理的認識力の拡大によって、
初めて、見えるようになるものだと言えます。

プログラミング初心者の頃は、
「このプログラムは絶対に正しいはずだ。
 なのに、なぜ正常に機能しないのだろう?
 さては、このパソコンに異常があるのでは?」
なんてことを考えるもので、
何日も、どこに間違いがあるのだろうと考えているうちに、
パソコンを叩き壊したいような衝動に駆られたりもしますが、
長くプログラミングをやっているうちに、ごく普通に、
「自分の論理的思考能力は完全ではない。
 バグっている以上、どこかに論理的エラーがあるのだろう。
 まぁ、じっくり考えることにしよう」
という風に、自然と考えるようになります。

昔のパソコンはシンプルだったので、
システム自体の不具合と言うのは非常に珍しく、
バグっている場合は、ほぼ確実に自分のプログラムのバグだったので、
安心して自分が間違っていると確信できましたが、
最近はシステムが複雑になりすぎて、
OSにさえバグがあるという事態になっているので、
自分のプログラムのバグなのかどうかが、
判然としないこともあるようです。

コンピューターが、自分の論理的間違いを繰り返し教えてくれることで、
「自分は、非常に間違いを犯しやすい存在である」
「自分は、明らかな論理的間違いを、間違いとして認識できない存在である」
「自分は、全体像のごく一部しか把握できない存在である」
という、自己認識に導いてくれることには、さほど抵抗が無いと思いますし、
プログラマーとしては、ごく自然な流れです。

しかし、そういう経験が少ない人は、
結構、自分の考えに自信を持っていることが多く、
「考える」ことが好きな人よりは、「学ぶ」ことが好きな人に、
そういう傾向があるかもしれません。

こういう人は、「正しい考え方」を学ぶことが好きですが、
その思想が含む論理的な間違いなんかは、特に気にしないようで、
自分が学んだ「正しい考え方」以外の考え方は拒絶して、
一種の思考停止による解決を求める人も多いようです。

元々、思想と言うのは、最低限、
徹頭徹尾、論理的な間違いや矛盾点が無く構成されて、
初めて、議論の俎上に載せることができます。

というのは、論理的な間違いや矛盾点を含むものは、
思想としては、根本的な間違いを含んでいるということを意味するので、
議論の対象にはならないからです。

そこをクリアーしてから、その次に、
事実に基づいているのか、
理念としてどうなのか、モラルとしてどうなのか、
法的にどうなのか、心理学的にどうなのか、
ということを議論できます。

「自分は何が正しいかを知っている」
と信じている人は、思考停止に陥りますが、
こういうタイプの人は、思考力とともに、謙虚さも無い人が多いので、
信念を共有しない人とは、なかなか話が通じないようです。

信念は、それを持つことで、
精神的な強さや安らぎが得られる側面もありますが、
それを持つことで、それに反する事実が見えなくなるという
強力なフィルターとしても機能するので、
精神的な牢獄という側面もあり、
持てば持つほど精神的な自由は失われます。

Korva は、スピリチュアル的な話や、宗教的な話も結構好きなので、
そういうサイトやブログもよく拝見するのですが、
そういう世界の人たちは結構、精神的な印象派の方々が多いようで、
美辞麗句や耳当たりのよい思想、一見すると美しい思想、
理性的に聴こえる思想などには、非常に弱く、
「天使の姿で現れる悪魔」を見抜くことが困難なようです。

悪魔が悪魔の姿で現れると、誰も耳を傾けないので、
「悪魔は天使の姿で現れる」のが普通なのです。

便宜的に「悪」という言葉を使いますが、
悪は、善意の人々の「無知」や「思考力の弱さ」を利用して、
勢力を拡大しようとします。

そういう善意の人々は、
自分は正しいことをしていると信じていますが、
実は悪の手先として、悪が活動しやすい世の中を作るための、
手助けをさせられている場合も、多いかもしれません。

一見すると、美しい思想や価値観に見えても、
みんながそれを信じると、悪が活動しやすくなる、
というものがあるのです。

なぜ、このようなことを書いているのかと言うと、
「印象操作」に対して、脆弱な意識構造を持つ人が、
非常に多いと、最近 強く感じるからです。

一般的に、人は、愛するものの幸福を願い、
憎むものの不幸を願うものです。

自分を愛してくれている人の助言は、
自分の幸福を願ってのことが多いので、耳を傾けるべきですが、
そうでない人の助言は、その人自身の損得勘定から、
ああしろ、こうしろ、と言っていることが多く、注意が必要です。

同じように、何かを愛する人が、それについて言うことは、
愛に基づいている場合多いですが、
それに対する愛の無い人が、それについて言うことは、
自分の損得勘定に基づいている場合が多いです。

もちろん、損得勘定が動機にある人が、
「私は自分の利益のために、これを言っているのです」
などと言うわけは無く、人々の善意に訴えかけるために、
説得力のある理由を色々と考えます。

そして、愛からものを言う人の意見に耳を傾けさせないために、又は、
自身の損得勘定からものを言う人の意見に耳を傾けさせるために、
いわゆる「レッテル張り」や「ラベリング」という印象操作が行われます。
レッテル張りによって、前者に邪悪なイメージを植え付け、
後者に善良で理性的なイメージを植え付けるという操作です。

この印象操作は、マスコミがよく使う手法ですが、
世の中を見ている限りは、非常に有効なようですし、
特に、「正しい考え方」を「学ぶ」ことが好きなタイプには、
絶大な効果があるようです。

一般的に、マスコミは、
「マスコミが知ってほしい事実」を報道し、
「マスコミが知ってほしくない事実」は報道しません。
そして、その「知ってほしい事実」については、
「このように考えてほしい」という意見によって、
特定の思想に、視聴者を誘導します。

少し思考力を働かせれば、「さにわ」できることが多いのですが、
ただの作為的な印象に過ぎないものを、
あたかも、自分の理知的な思考の結果として導かれた結論だと、
信じるように誘導されることで、
いとも簡単に、操作される人が多いのだと思います。

プログラマーが持っている信念の一つとして、
「考え続けていれば、いつか必ず答えは見つかる」
というのもありますが、長くプログラミングを続けている人ほど、
この信念を強く持っていると思います。

というのは、プログラミングにおいては、
思考の無い問題解決は存在せず、
思考停止は、すなわち、
問題解決の放棄を意味するからです。


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スピリチュアル | 12:12:29 | トラックバック(0) | コメント(18)
ツールとしての思想
Korva は、どちらかと言うと、
思想や価値観というものには、
あまり重きを置いていません。

というのは、Korva は、
「バランスの美」というものを重視していて、
思想や価値観というのは、そのバランスと取るための、
「ツール」に過ぎないと考えているからです。

Korva は、特定の思想や価値観を「正しい」と「定義」し、
その反対の思想や価値観を「間違い」だと「定義」すると、
どうしても、「正しい思想や価値観」に固執してしまい、
結果的に、その思想や価値観が作用する対象のバランスが崩れ、
「バランスの乱れた美しくない状態」に陥ると考えています。

なので、特定の思想や価値観を、
論理的な「証明」と言う意味においてではなく、
特に、倫理的・道徳的な「定義」の意味において、
「正しい」とも「間違い」だともしたくないのです。

大切なのは、思想や価値観ではなく、あくまでも、
バランスの取れた美しい「状態」や「状況」というわけです。

例えば、健康法において、
「体を温めるのが正しい」という思想と、
「体を冷やすのが正しい」という思想があるとします。

思想としては、正反対の内容を持っていますが、
そのどちらの思想を採用して実行し続けても、
「健康」という「バランスの美」を損なう結果になります。

と言う事は、その思想は、
どちらも間違いと言うことでしょうか?
Korvaの考えでは、その思想は、
どちらも正しく、どちらも間違いです。

どういうことかと言うと、そのどちらの思想も、
健康の増進に寄与する場合においてのみ、正しいだけで、
それ以外の場合には、正しいとは言えないということです。

思想や価値観というのは、
それ自体が正しかったり、間違いだったりすることは無く、
特定の状況では正しくなり、別の状況では正しくなくなるもの、
だという考え方です。

例えば、包丁というツールの使い方について考えると、
料理に使う道具として使用すれば、
それは正しい使い方と言えますが、
料理以外のこと(例えば犯罪など)に使うと、
それは、正しい使い方とは言えなくなります。

つまり、包丁が、
良いものであるか悪いものであるかは、
包丁そのものにではなく、
その「使い方」に、かかっていると言えます。

そして、それと同じように、
思想や価値観というものも、それ自体には善悪は無く、
ただ、それがどのように使われ、どのような結果を招くのかによって、
正しくなったり、正しくなくなったりするものだと思います。

平和についても、Korva は、
「平和な状況」を尊重するだけで、
「平和思想」については、特に尊重はしません。

というのは、「平和思想」は、それを持つことによって、
平和が獲得、維持、促進、される場合にのみ正しく、
それを持つことによって、戦争の危険性が高まる様な場合には、
正しいものだとは言えなくなるからです。

例えば、日本の周辺にあるのが友好国のみの状況では、
平和思想を持つことで、平和が促進される可能性が高いですが、
そうではない状況では、平和思想を持つことには、
戦争を誘発する可能性を高める効果があるかもしれません。

なぜなら、一般的に、
軍事力の不均衡が大きくなると、戦争が誘発される可能性が高まりますが、
軍事力の不均衡が小さくなると、その可能性が低くなるからです。

そして、平和思想は、
片方のみが、それを持ち、実行した場合には、
軍事的な不均衡を大きくする効果があるわけです。

特定の思想や価値観を善とし、
その反対の思想や価値観を悪とするのは、
どちらかと言うと、宗教的な態度だと感じますし、
スピリチュアルの世界でも一般的ですが、
それ以外の世界でも、ごく普通のことかもしれませんね。

特定の思想や価値観を、
どのような場合においても正しいと考えるのは、
いわゆる「原理主義」と呼ばれる考え方ですが、
そのような硬直した考え方によって、
変化し続ける状況の中で、果たして、
上手くバランスを取っていけるのかどうか、
一度、考えてみるのはいかがでしょうか?


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スピリチュアル | 16:37:56 | トラックバック(0) | コメント(8)
スタガード BLH の改善案
以前、スタガード BLH というものを紹介したことがありますが、
まだ、実際には作っていません。

スタガー・バックロード・ホーン

スタガードBLH は、
ショートホーンとロングホーンを、別々のドライバーで、
独立して駆動できると言うメリットがあるのですが、
同じ口径のドライバーを使った場合は、
ショートホーンにかかる圧力が高くなるため、
ロングホーンからの音圧が、相対的に少なくなり、
結果的に、低音不足になる懸念もあります。

それを避けるためには、
ショートホーン側のドライバーを、
ロングホーン側のドライバーよりも、
小口径のものにすればよいわけです。

例えば、
ロングホーン側が、8cm口径の場合は、
ショートホーン側を、6.5cm口径程度にすれば、
振動板面積比も、ちょうど、3 : 2 程度になり、
エネルギーバランスも良くなります。

しかし、6.5cm 口径のフルレンジで、
8cm 口径のフルレンジ程度の能率を持ったものが、
なかなか見当たりませんし、
耐入力も、小さい方のドライバーの耐入力が、
ボトルネックになって、制限されます。

そこで、
ふたつのドライバーを、
同程度の能率の、同じ口径のものにしても、
低音不足にならない方法はないかなと考えたものが、
下図のものです。

bsblh

つまり、ショートホーン側のドライバーのエネルギーを、
いくらか、ロングホーン側に分配して、
ロングホーンの音圧を高めることで、
低音不足を回避することができるのではないか、
という考えです。

この方式だと、耐入力の問題が生じませんし、
8cmドライバー2発で行けるので、
ドライバーを色々と取り替えて楽しむこともできますね。

SBLH_20131105

こういうのを作りたいんですけどね・・・


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バックロードホーン | 16:53:13 | トラックバック(0) | コメント(2)
Forked BLH Ansio-S08 の製作開始
Forked BLH の Ansio-S08 の製作を開始しました。

ansio_20150823


左右対称のデザインで、
ルックス的には、すっきりとしています。

実験的なスピーカーですが、設計には少々苦労しました。

サイズ的には、コンパクトですが、
部材数は、かなり多くなってしまいましたね・・・

基本的な構造は、下図のようになっています。

fblh2

2つのホーンが独立したデュアルBLH 並みの音質は期待できなくても、
シングルBLH よりも、音質的に癖が少なければ、
Forked BLH の存在意義は十分にありますし、
サイズ的には、デュアルBLH よりコンパクトにできるので、
設計的な自由度が増し、色々と夢が広がります。

これが上手く行けば、
格好のよい前面開口型のForked BLH も作ってみたいですね。
これも、基本的な設計は出来ていますが、
Ansio-S08 の結果待ちですね。


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Ansio-S08 | 12:59:52 | トラックバック(0) | コメント(0)

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まとめ

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