2023-03-16 Thu
今から20年ほど前の話ですが、私の部屋に火の玉が出現したことがあります。
深夜に、ある資格の勉強をしていたところ、
部屋の中が急に明るくなったので、
何だろうと思い、後ろを振り向くと、
床から150cmほどの高さ、壁から30cmほど離れたところに、
直径15~20cm程度の青白い火の玉が出現していました。
この時、部屋にあった光源は、
天井の蛍光灯と、机のスタンドライトのみで、
部屋の光源や光源の反射を
火の玉に見間違った可能性は全くありません。
火の玉は、
オーディオ機器のアンプの直上50cmの程度の位置に現れたので、
私は最初、アンプが放電しているのだと思いました。
そして、火の玉は壁から30cm程度離れた位置で明々と輝いていたので、
これは早く何とかしないと火事になるのではないかと考えましたが、
放電現象なら、うかつに近づくと自分も感電してしまうと思い、
近づくこともできずに、激しく輝く火の玉をただおろおろと凝視していました。
そうこうしているうちに、
火の玉が出現してから30秒ほどたつと、
火の玉がフッと消えてしまいました。
私はアンプが放電したのだと思っていたので、
まず、アンプをよく調べてみましたが、
焦げ跡などの、放電した痕跡は全くありませんでした。
そして、アンプの電源を入れてみましたが、
故障などの異常は何もなく、正常に機能しました。
そもそも、私の部屋には空気中に放電が起こるような
高電圧がかかる機器は一つもなかったので、
冷静に考えてみると、
アンプを含めて、家電からの放電現象ではないはずです。
そして、放電現象なら、
空中に独立した光球を形成するような現象にはならないはずです。
火の玉は、壁の近くで光り輝いていましたが、
壁に焦げ跡が残るようなこともありませんでした。
その日は雨が降っていて、雷もゴロゴロと鳴っていたので、
気象的な現象かもしれないとも考えましたが、
「そういう条件の日には家の中に火の玉が出現することが多い」
なんていう話も聞きませんからね・・・
心霊現象にしては「ヒュ~ドロドロ」的な霊的な印象ではなく、
自然現象的なビビッドで激しい光り方でした。
よく「オーブ」と言われるものが写真に写ったりしますが、
私の見たものは、オーブのように淡いものではなかったですし・・・
火の玉を見たのは、その一度きりですが、
あれは自然現象なのか、それとも心霊現象なのか、
ということを今でもよく考えます。
自然現象なら、火の玉が出現するメカニズムが全く不明ですし、
心霊現象にしては、あまりにもリアルで自然現象のように見えるので、
今もその正体は判然としません。
逆に言えば、あまりにもリアルすぎるものは、
心霊現象でも自然現象のように見えると言えるかもしれません。
全く現実の人間のように見える幽霊なら、
幽霊を見ても幽霊を見たとは感じないでしょうから。
ともあれ、火の玉現象は、
心霊現象なのか自然現象なのかは、私には判りませんが
火の玉現象自体は「確かに存在する」ということは言えます。
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2023-03-04 Sat
コオロギは、牛、豚、鶏、などに比べて、同じ量の飼料で、より多く生産できるということですが、
コオロギパウダーの価格は、1Kgあたり16000円で、
今のところ、牛肉より高価です。
同じ量のたんぱく質を生産するのに必要な飼料の量は、
牛>豚>鶏>コオロギ、の順になっているので、
コオロギが高価な理由は、
おそらく、飼料以外の生産コストが高いからだと考えられます。
実際にコオロギを生産している人の話によれば、
コオロギは温度が低いと死滅するので、
エアコンでの温度管理が必要だということです。
そして、エアコンというのは、最も電気を消費する家電の一つであり、
食物を生産するために大量の電気を消費するというのは、
エコからは程遠いです
牛や豚や鶏は、
特に温度管理をしなくても育てられるので、
燃料や電気をそれほど消費しないためか、
コオロギより大量の飼料が必要だとしても、
今のところは、コオロギより安く生産できています。
コオロギが本当に低い環境負荷で育てられるようになれば、
エアコンの電気代を含めたとしても、
自然と生産コストがとが低くなってくるので、
コオロギ自体の価格が安くなってくるはずですが、
コオロギは、今のところは、牛、豚、鶏、よりも価格が高いので、
牛、豚、鶏、よりも、高い環境負荷で、生産されていると考えられます。
そして、この先、コオロギが大量に生産・消費されるようになれば、
量産効果で、単位重量あたりのコオロギの生産コストは下がってくるはずですが、
それでも、牛、豚、鶏、よりも、生産コストが下がるかどうかは分かりません。
おそらく、暖房の必要がない、一年中温かい国で生産しなければ、
低コストで生産することはできないのではないかと思います。
実際のところ、
コオロギは鶏より低い環境負荷で生産できるというのが
コオロギ食を正当化する建前になっているので、
コオロギの生産コストが鶏の生産コストより下がらなければ、
コオロギを食べる意味自体がありません。
コオロギが好きだという人は、高くても食べればよいのですが、
環境を意識する人は、
コオロギの生産コストが鶏の生産コストより下がり、
コオロギの価格が鶏より安くなってから食べる方が良いと思います。
コオロギが高いうちは、高コスト、高い環境負荷で生産されているので、
コオロギを食べれば食べるほど、環境には悪いということになるからです。
まぁ、私は、コオロギが鶏より安くなっても食べませんが・・・
本能的に気持ち悪いですからね。
将来、食糧危機で肉が食べられないようになったら、
別にコオロギなんかを食べなくても、
海産物や大豆でも食べていればよいのではないでしょうか。
ちなみに、コオロギは、
漢方では微毒であり、妊婦には禁忌ということです。
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- イラストを描いていただきました
2023-02-23 Thu
左派的な世界やスピリチュアルな世界では、理想主義的な人が高く評価されたりしますが、
理想主義的な人を正しく評価するためには、
その理想を実現するための「具体的・現実的なハウツー」も
語っているかどうかを観る必要があると思います。
なぜなら、理想は、
それを実現するための具体的・現実的ハウツーがある場合のみ、
それが実現される可能性があり、
それを実現するための具体的・現実的ハウツーが無い場合は、
それが実現される可能性は、未来永劫 無いからです。
もちろん、そのハウツーが実行されても、
実現するかどうかは分からず、
実現しない可能性の方が高いのですが、
そのハウツーがあれば、少なくとも、
実現の「可能性がある」ということは言えます。
しかし、ほとんどの理想主義者は
理想の素晴らしさや正しさについて延々と語るだけで、
それを実現するための方法について語ることはないですね。
そして、当然、そのような実現するための方法の無い理想は、
永遠に実現することのない空虚な夢想だと言えます。
例えば、戦争のない世界を実現するために
武力を放棄しようという人は、いくらでもいますが、
日本以外の国に、どうやって武力を放棄させるのかの
具体的・現実的な方法を語っている人を
ただの一人でも見たことがあるでしょうか?
日本だけが武力を放棄すれば、
日本が侵略の対象になるだけなので、
言うまでもなく、日本だけが武力を放棄することによる、
戦争のない世界の実現は不可能です。
話し合いによって解決すればよいという人もいますが、
そもそも、そのように言っている人が、
相手国をどのように話し合いの席に就けて、
どのように日本の要求をのませるかの方法について
語っているのを聞いたことが一度でもあるでしょうか?
少なくとも、私は一度もありません。
そして、話し合いをしようとしても、
武力がなければ「問答無用」となるだけなので、
話し合いをするにも武力が必要になります。
また、話し合いの主導権は、武力が優位な方にあり、
武力のない話し合いは、一方的に相手の要求をのむだけの話し合いとなります。
日本の要求をのませることができない話し合いに意味はないので、
意味のある話し合いをするにも武力が必要です。
そして、話し合いによって日本の要求をのませるには、
相手国と対等以上の武力が必要になります。
日本に武力が無い場合、相手国は、日本を侵略すれば、
容易に日本の全てを手に入れることができる状態です。
もし、そのような状態で話し合いをすれば、その内容は、
日本の全てを手に入れられる機会を諦めてもらう代わりに、
日本は相手国に何を差し出すのか、
という非常に恐ろしいものになります。
アメリカや世界が何とかしてくれるというのも論外です。
アメリカや世界も、日本に戦う気が無いなら、
日本は日本の好きなようにやればよろしいとなります。
理想主義者は、
戦争のない世界の素晴らしさを、言葉を尽くして語ることはあっても、
日本以外の国に、どうやって武力を放棄させるのかという
具体的・現実的な方法を語ることは一切なく、
当然、その方法を実行に移すことはなおさら無いので、
それが実現する可能性は未来永劫 全くありません。
具体的・現実的ハウツーを意識する人ほど、
理想主義者ではなく「リアリスト」にならざるをえません。
そして、リアリストは「よりよい現実」はありえても、
「理想的な現実」は原理的にありえないと知っています。
実現方法を考えれば、すぐに解るからです。
逆に言えば、実現方法を考えないことが、
理想主義者でいるための条件となります。
その人の言っていることが信頼可能かどうかを判断するには、
その人が理想主義者であるかリアリストであるかが良い目安となります。
実際のところ、理想主義者は、理想主義者というだけで、
信頼に値しない夢想家と見て差し支えないです。
私は結構スピリチュアルが好きなんですが、
スピリチュアル思想と左翼思想は理想主義的傾向が強く、
親和性が高いと感じます。
そして、スピリチュアル思想や左翼思想は学べば学ぶほど、
思考停止に陥る危険性が高くなります。
学べば学ぶほど愚かになる学問もあるのです。
理想主義者は、実現する可能性の全くない理想でも妄信できるほど、
思考停止状態になることができますが、彼らは
「素晴らしい理想を信じている自分もまた素晴らしい」
という自己肯定感を持っているので、
自分の思考停止状態も正しく認識することはできません。
そして、理想主義的になればなるほど、
自己評価ばかりが無駄に高くなり、
真面目にハウツーを考えるリアリストへの
蔑視や憎悪も強くなります。
リアリストが「正しいことが明白な理想」を否定する
悪人・愚人に見えるからです。
また、理想主義には、
人間嫌いや厭世観が強くなるという弊害もあります。
これは、他者や世界に対して否定的になるということで、
言い換えれば「愛」がなくなるということです。
特に、スピリチュアルな世界では、
理想主義的な傾向が当たり前とみなされ、
理想主義的な人ほど尊敬されたり信頼さたりしますが、
その人の言説が理想主義的であればあるほど、
その人の言説は信頼に値しないというのが実際のところです。
美しい理想を語る人はどこにでもいますが、
それを実現するための現実的かつ具体的なハウツーを語る人はどこにもいないので、
美しい理想を語る人が、人々を理想的状態に導いてくれることは、決して無い、
ということは知っておいた方が良いと思います。
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